世知辛い

空前の円安だ。

約一年半前に転職をし年収をそれなりに上げた僕だが、その時期から日本は物価高に突入し、更にはドル円が160円目前というところまで来ており、生活が楽になった実感はない。

しかも、持病も影響しお金の使い方がうまくなく、衝動的に買い物をしてしまうため、貯金も殆どない。

どんな病気かというと衝動性と計画性のなさが特徴のあの病気である。

その一方で通常企業に勤めている人間は期待する「昇給」というものや「賞与」はなかった。いずれにせよ僕の能力の無さ故である

納得できる内容とはいえ、世知辛いものである。

 

そのような世知辛い状況では労働者と会社の関係というものを考えてしまう。

僕はちゃんとしたいわゆる日本の大企業で勤めたことはなく、労働者として働いた経験も4,5年で、その中で特に成果を上げたこともない吹けば飛ぶような存在であるし特に自分の考えが何かに役立つとも思っていない。年収も450万円だし。

 

多くのスタートアップ企業では会社の特色的なカルチャーやメッセージを打ち出している。これはなんのためなのかと考えると、そういったコンセプト的なことを世に打ち出すことによって、既存の社会を変革していきますよみたいなことを発信することが会社の一つの生き残り戦略で、それは投資家や消費者、あるいは採用といった面でアピールする力があるのだろう。

大体は素晴らしいことを書いているし、何かが起きそうといったワクワク感みたいなものは人を高揚させる。

しかし、これは一つのごまかしでもある。そんなメッセージを打ち出していても、その会社が大きくなっていったり、多くの金を稼いだり、給与に反映されたりなどがなければ労働者にとっては辛い体験になる。そういった状況で先述のカルチャーやメッセージを使って労働者の精神的あるいは場合によっては肉体的な痛みや疲労を曖昧模糊にしていく。そういった機能もこれにはあると思う。

 

以前から思っているのだが、スポーツやイベントごとで「一つになる」という感覚が好きではない。僕はそういった状況のさなかに居たとしても「一つに」なりたいと思ったことはないし、外面的に一つになっているように見えたとしても精神的には厚めの壁を築きたい。だいたい、本当は一つになっているのではなくその集団から「一つ」になったという感覚を共有できない存在を排除して純度を高めているだけに思う。そういったことが気持ちが悪い。

このような感覚は一般的ではなく少しずれていることはわかる。さすがにそれを自覚しない年齢でもなければ、そういったずれ方を特別とも思う自己愛者ではない。単にそういう病気なのだろうとしか思わないし、多分「一つ」になったほうが楽しいのだろう。

人類は(特に人類に詳しいわけでも勉強したことがあるわけでもなく、代表しているわけでもなくて申し訳ないが)心地よいリズムとともに火を囲んで踊ったりして騒ぐのが一番楽しいのだろうと思う。僕は得意じゃないことだが。そういった原始的な部分を利用したハックなんだろう、会社のカルチャーやメッセージみたいなものは。

 

そろそろ宗教的な感覚をもった会社でも設立して潰して一文無しになるくらいのことを挑戦したほうがいい気がしてきた。