衝動性と計画性の欠如

自分の性格を端的に表すとこの記事のタイトルになるだろう。

僕は一応発達障害というラベリングをここ最近されていて、ストラテラという薬を気休め程度にのんでいる。ストラテラというのは発達障害の入門的な薬であって、医者はだいたい初手にこれを出してくる。詳しい作用機序とかはしらないが、ノルアドレナリンドーパミンといった神経伝達物質の脳内での濃度を上げて、発達障害特有のうっかりしたところを軽減してくれるらしい。

飲み始めた当初は全く眠れなくなったり、動悸がしたりなど大変だったが最近ではそれも落ち着いている。飲み忘れると集中力が極端になくなったり眠くなったりする。果たしてこの状態がかつての自分だったのか、それともゆっくり抜いていけばもうちょっとマシな自分に戻るのかはわからない。

一応うっかりがなくなった気がしたり、日中の眠気が減った気がする、人の話が聞けないなどが減った気がするという気がするレベルの効果を実感しているので飲み続けている。

とはいえストラテラを飲んでももとの性格が劇的に変わるわけでもなく、よく発達障害の皆さんが体験する衝動性と計画性の欠如は残り続ける。というかこれに関しては薬を飲んでも飲まなくてもあまり変わった気がしない。反対に、過集中というものが弱くなった気がしていてそこは少しディスアドバンテージだ。過集中の過大評価かもしれないが、あれが起きているときの疲れなさはすごい。

 

さて、こういった衝動性と計画性のなさというものが自分の人生でどうやって作用してきたかというと、大概はあまり良い方向には動かない。

僕は大学の法学部を卒業している。そこは都内にある私立大学で、それなりに良い家の子女が通っていた。僕は都下の出身でそこまでいい家柄ではないが、とくに金銭的な苦労なく私立大学に通わせてもらえたということは恵まれていたと言える。話を計画性に戻すと、僕の同級生の多くは計画性が高く、就職活動をしていた。反面僕はしていなかった。それだけの話だがこういう人生の様々なイベントごとに計画性のなさが現れてくる。

そんな時期に僕は何をしていたかというと特に何もしていなかった。就職活動というものがとにかくきらいで「就活はダサい」と周囲に語りながらとくに何もしていなかった。何が嫌だったのかというと、とにかく就活という同じ目的のために全員が同じようなことをしている空気が苦手だったという逆張り精神である。かと言って別の道を選んで活動家や政治家になるとか起業家になるとかもなく、最終的には人に雇われているのが僕のとにかくダサいところである。あとは、いわゆる就活の成功者たちの語る成功体験のようなエピソードが嫌いだった。彼らは「こうしたから受かった」というようなエピソードを人前で話したがるしアドバイスしたがるものだが、結局の所判断基準が企業から公開されていない以上、彼らは求職者という立場である自分の限られた認識の上で類推したことしか話せない。しかし、成功したという経験に酔った人間はそういった事実に対する誠実さをなくしているので、とにかく根拠に乏しいことを大声で語るのである。それがたまらなく嫌だった。

さて、じゃあ就職活動に意味がないのかというとそんなことはないはずだ。僕は当時22,3歳の時点になっても自分が将来どのようにな状態になっていたいかという理想も希望も大してなかったし、適度に古本でも読んで暮らしていければそれでいいと考えていた。このベースとなる思考は今でもそこまで変わっていない。僕の頭の中の外の世界つまり普通に暮らしている社会においては計画とそれに対する振り返った評価の結果によって僕の時間や能力に金銭が払われている(もっとも、これは企業が人件費を抑えるための方便だと考えているし、その評価が正しいということを必ずしも意味しない)。それは他の人たちもそうであろう。とくに生活を維持するための手段は企業に勤める以外ない現状ではもっとも給与がもらえる場所に所属することが時間効率が良いと言える。もっとも、そんなことは多分当時もわかっていた。「新卒カード」といった言葉があり、それを無駄にすることは人生の損失だということもよく言われていた。今もそこにいまいち納得感はないが、それを有効に活用できた人々はどうやら輝かしい経歴や収入を手にしている。なぜそのことが理解できていたはずなのにやっていないのかといえば単純にそれはADHD的な脳の特性として長期的な利益のために短期的な我慢ができなかったり、衝動的に興味のあることをやっていたからだろう。あとは逆張り的な精神で人と同じパターンは取りたくないと思ったり、どうせ人は死ぬしな、戦争起きたら終わりだもんななどと思っていたりしたからだ。

じゃあなんでいまこんな文章を書いているかというと、単純にその結果として金がたりず、多くの望んだことができていないなと考えたという非常につまらないことである。

衝動性と計画性の欠如はもちろん企業で評価されないし、僕の給与は低い。そもそも多くの企業で給与評価に使われる目標設定などは、この特性のある人間に撮っては地獄に近い。そしてそのことは多少なりとも自尊心を失わせる。もっともこんな文章を書いておいてなんだが、就職活動をまともにしなかったことを後悔しているかというとそんなことはない。なぜなら多分できないしそれでもなおやりたくないからだ。

 

なんか適当に起業した会社が数十億円で売れないかな。